今こそ逢魔ヶ辻

「俺が提示しうる生活再建のルート」などとえらそうな事を書いたが、一気に事態が改善するような術など、そこらにころがってはいないのであった。知り合いの施設職員に事情を話すと、出てくる言葉は重苦しいものばかりで、電話は終始、その先にある苦い表情を想像するのも容易な、そんな調子であった。


「冷たいようやけど、そら一度いくとこまでいかなわからんで、そのおっさん。それこそ野宿まで至ればまだ手の出しようもあるくらいで。いうてもそれこそ大変やねんけどな。。。」


困難な事情を抱えた数え切れないほどの人々を相手に相談業務や生活支援をやってきた、その人生のそれぞれの困難を毎日聞き取り、それに関わる社会的諸制度について知りつくした男をして、これである。電話をする前からそれは承知であったが、それでも今何ができるのかを二回りも歳の違うおっさんに素人の俺が語り、何かしらを演じるためには、彼との会話が必要だったのである。


そこで確認されたのは、


・まず、何より家賃の支払いについて目処をつけることが先決である。足に不自由があるとはいえ、歳もまだ若いだけに、追い出されたらそれこそ厄介である。電気が止められようがとりあえずは死にはせん。


・現状でおっさんがとりうる選択は、
 1、彼の施設に入って生活の再建を目指す。何とか彼の紹介で入れないことはないとのことだ。もちろん様々な生活指導を受ける。
 2、何とか家賃の分割支払を大家にお願いして、苦しいながらも返していく。
 3、以下略(すなわち、えげつない事態である)。
 4、


施設職員の彼と俺の提示した「生活再建のルート」は一致した。こんなもんである。また、そのどれを執るかはおっさんに決めさせろとアドバイスを受けた。2を選択する場合、出来れば毎月の家賃の支払い、さらに言えば毎日の生活費をも管理する人がいるのが望ましいのだが、そんな気の利いた人はいない。行くとこ行けばそうした事を請け負ってくれる団体もないことはないのだが、電車で通ってそんなんするのは非現実的だ。俺? 俺1人でやるには責任重すぎるだろ。本音を言えば、そんな責任をもつのは嫌やし、もつつもりもない。人の人生にそこまで深入りする、そんな相手は俺かて選びたい。おっさんが自分で頑張るしかないのである。


そして1、2をとるとして、その際の絶対条件は「携帯電話をもたさない」ことであった。出会い系から足が抜けない限り、生活再建は無理という判断だ。基本的には日常の通信手段なのだし、とりあげるわけにもいかんので、これまた難題である。


色々な細かい事情も加味した上で、こんなケースはこの施設職員をして初めてだという。「ええ勉強になったわ」と最後に話していた。


夜も遅かったが、俺は彼の施設のホームページをプリントアウトし、電話で話したことを清書した紙とを携えて、再びおっさんの部屋を訪ねた。30分前と変わらぬあんばいであった。


俺は神妙な口調で上記の事どもを話していった。いつもは俺が話すのを遮って自分の言いたいことばかり話しているおっさんも、この時は下を向きつつ神妙な顔つきで話を聞いていた。


ひとしきり話終えた後に、少し静寂があった。部屋の奥の方では多分、ネコがグーグー寝てるのだろう。


しばらくしておっさんはぽつりぽつりと話し始めた。それは何で自分がこんなアホなことを、アホなこととわかっててもなお続けているのかということの弁明であった。その内容自体はこれまでも大筋は聞いてきたような事なのだが、出てくる言葉には胃袋の臭いがくるまったような、そんな重々しさがあった。"pain"である。


自分がこうありたい、こうなりたい、もう一度、自分の考えて温め続けている商売で、もう一度、足が痛い、痛い足を治したい、病院も紹介してもろうたけど、治療がこわい、すでに失った、きょうだいや友人、音信不通の息子や娘からの信頼を回復したい、今さらあわせる顔もないのはわかっている、せやけども、もう一度、もう一度ーーーーおっさんはそんなやりきれん思いを誰に話すでもなく日々抱えつつ、ここ数年、俺の部屋の真下で1人生きてきたのである。


「いろんな奴を見返してやりたいんや。みんなもうワシのことはどうでもええねん。きょうだいやら友達やらな。金やねん。それなりに事業を成功させて、それで、同じ立場まではいかんでも、『あー、あいつやっとるな』くらいにはなる」


「実はな、昨日も行ってきたんよ。そう、○○(大きな駅)。夕方な、またメール来て。どないもならんやろ思ってんけど、そしたらえらい雨が降ってきて帰るに帰れん。女を待つんやなく、小降りになるんを待って帰ってきたんが1時前くらいかな。。。ワシな、ほんまはこんなダラダラした男とちゃうんよ、ほんまわ。足悪うして、こうなってからほんま無気力やな〜と、毎日テレビばっか見てファミコンして寝てな。。。。でもこの一ヶ月、ほんまワシ元気やったよ。そら今までやったら○○やら××まで自転車で行くなんて考えられんかったよ。でも行くもんな。。。。ほんま言えば1000万なんていらんのよ。ワシ、もしこの朋恵さんと会えて一緒に事業始めたら、また元気になると思うねん。今足が痛いんも、治るような気がするんよ」


そんなこんなを長いこと黙って聞き、最後に「それもこれもとりあえず、家賃のことをかたしてからやな。決めるんはおっさんやで。俺はこーせぇあーせぇとはもう言わんよ。もし出会い系やめてやり直すいうんやったら、明日、不動産屋についていくわ。一晩じっくりと考えてみてください」とだけ言って部屋を後にした。


俺を玄関まで送るためにいつもは出てくるおっさんは、この時だけは出てこなかった。